(旧)自立生活センター・昭島の日常

東京都昭島市でひっそりと(笑)活動している福祉団体。地域で暮らす障害者の生活サポートや情報提供、移送サービスなどをやっています。

『権利の芽吹きは足もとに あたりまえに生きていくための視覚障害者運動』




皆様、いかがお過ごしだったでしょうか?
「当事者の日常」担当のKでございます。


今回は、久しぶりの“読者感想文”です。
え~っと、読書感想文を最後に書いたのはぁ…??

2014年3月26日。

な・なんと、約1年前ですと?!
前回の時も「8ヶ月ぶり」だったのに…(汗)。



閑・話・休・題

今回読んだ本は、コチラ。






タイトルに…

あたりまえに生きていくための視覚障害者運動

と、書いてあったので、読む前は…

「書いた人(梅尾さん)が関わった運動の具体的な“中身”を中心に書いた本だろうなぁ」

と、漠然と思っていたのです。
ところが、実際に読んでみると、まったくイメージが違いました。

障害者運動の具体的な事は主に、梅尾さんが会長を勤める
愛知視覚障害者協議会の顧問弁護士 中谷雄二さんが巻頭で。
同協議会事務局長の寺西 昭さんが巻末で、
2人の梅尾さんとの出会いと共に、詳しく書います。

梅尾さん自身は、色々な運動を始めるキッカケや、その時の想いを、
当時の生活、環境等を交えながら、書いていました。
横尾さんの話は、幼い頃から始まります。


梅尾さんは、四国の香川県で生まれます。
当時、梅尾さんの家族は、とても貧しく何度も引越しを繰り返し
一時は、海水を煮詰めて作る時に使う釜が置いてあった釜屋
というモノにも住んでいました。

近所の子供と遊ぶ時、1歳違いの妹さんと全盲の梅尾さんは
「めくら」といって、いじめられ仲間に入れなかったそうです。
様々な苦労がある中、梅尾さん達は、新しい家族を迎えます。

生まれた男の子を家族は大変可愛がり、梅尾さんも一生懸命弟の面倒を見ました。
そんな梅尾さんに弟も懐き、ある時梅尾さんが…

「おいで」

と言って手を出すと、やっと歩けるように様になった弟さんが
飛びついてきた時の手応えは、今でも忘れられないという梅尾さんの文章を
読んで、ちょっと泣きそうになってしまいました。


1960年5月、梅尾さんは、香川県立盲学校小学部に入学します。
この時の年齢は、9歳で本来なら4年生です。しかし、当時は、梅尾さんの様に
6歳を過ぎても、学校へ通っていない障害児が沢山いたそうです。
盲学校では、家族と離れ寄宿舎で生活する事になります。

香川の盲学校(寄宿舎)の生活では、いじめ、両親たちの名古屋への突然の転居等
様々な体験が綴られていました。集団生活でのいじめは、私も障害者施設で経験しています。
しかし、自分が知らない間に家族が他の地域へ引っ越すというのは、流石に衝撃でした。

夏休み等の長期休暇の時は、祖母の家に身を寄せるものの、家族に会えない寂しさは募り、
中学生の頃には、心が不安定になり、自傷行為や周囲に激しく当たる等の行動をとる様になります。
そんな中学3年生のある日、当時の寮母先生が「親子が離れて暮らすのは不自然」
と梅尾さんの母親を説得。中学を卒業した梅尾さんは、香川を離れ、
名古屋盲学校高等部に入学します。

名古屋盲学校の生活で、梅尾さんに2つの大きな出来事が起こります。
1つは白杖を使って一人での外出”もう1つは、現在会長を務めている
愛知視覚障害者協議会への入会です。


1985年3月、梅尾さんは長男を出産。1日トイレに行くのを忘れてしまう事も
あったぐらい、育児に没頭してしまい、ノイローゼ気味に。
梅尾さんは、藁にも縋る思いで保健所へ電話したそうです。
翌日、保健所から来た保健婦さんからかけられた…

「お母さん、よく頑張って育てたねぇ」

という言葉と、保健婦さんにあやされ、元気に笑う子供の声を聞いた時、
それまでの緊張が解け、涙が止まらなかったと梅尾さんは書いています。

育児の情報が無かった事を痛感した梅尾さんは、

点字母子手帳がほしい」

と、愛知視覚障害者協議会(愛視協)の人達と運動を始めます。
そして、1989年11月、全国初の点字母子手帳解説書
「上手な母子手帳の使い方」として実を結びます。

この運動は全国にも広がり、1994年厚生省(現厚生労働省)が点字母子手帳
作り、各地方自治体に配布されるまでになりました。

育児ノイローゼから始まった梅尾さんの子育ては、周りの人達の協力を得ながら、
小学校、中学校と進んでいきました。そして、息子さんが高校2年生の時、親子に
事件が起こります。

梅尾さんとの口喧嘩をキッカケに息子さんが…

「働いて家を出たい。この家が嫌なんだよ」

と、言うのです。梅尾さんが理由を聞くと…

「お母さん達が障害者だからかもしれない(※)
とにかく嫌なんだよ。家を出たいんだよ」

という答えが…!!
(※梅尾さんの夫も全盲の視覚障碍者です)

この文章を読んだ時、昔、妹から…

「お兄ちゃんは、障害者だからってズルイ!」

と言われ、何も言い返せなかった事を思い出し、
何とも複雑な気持ちになりました。

梅尾さんも…

「気持ちの整理もつかないまま、10日ほど過ごした」

と、言っています。

障害者本人だけではなく、家族にも悩みや苦しみが
ある事を改めて考えた瞬間でした。


もう1つ私が考えさせられた話がありました。

1995年10月の朝、梅尾さんの左耳が
突発性難聴”にかかってしまったのです。発症した当初は
補聴器を使用する事もあったものの、すぐに役に立たなくなってしまいました。

全盲視覚障害者が片耳とはいえ“音を失う”というのは、
私たちが考えるよりも大変な事なのです。
左耳の聴力を失った梅尾さんの場合、全ての音は“右耳”で聴く事になります。

目が見えていれば、視覚で音がする『方向』を確認できるので、
片方だけでも慣れれば、殆ど日常生活に支障が無いそうです。

ところが、全盲視覚障害者は音で『方向』を確認しているので、
梅尾さんの場合、殆どの音が“右側”から聴こえてしまい正確な『方向』が
分からなくなってしまいまいした。

ある時、電車に乗ろうと耳を頼りに、電車の音がするホームの“右側”に向った所、
“後ろ”から電車の発車する音が聞こえてきました。
梅尾さんは何も無いホームに向かって歩いていたのです。

名古屋盲学校以来、続けてきた“1人での外出”も殆どしなくなりました。

「……もし、突然新たな障害が、自分を襲ったとしたら」

いくら考えても、多分、今の私には、答えが出せない気がします。


この本では他に…

点字点字ブロックの誕生の経緯
・梅尾さんが全文点字で訴状を書いた「点字裁判」
自動販売機の話
・音がしなくなった自動ドアの話

などが書かれています。


今回、この本を読んで1番感じたのは、
「障害をどう受け止めるか?」という事でした。
家族、新たな障害の発症…。

本当に考えさせられる本でした。





では、また次回  K