(旧)自立生活センター・昭島の日常

東京都昭島市でひっそりと(笑)活動している福祉団体。地域で暮らす障害者の生活サポートや情報提供、移送サービスなどをやっています。

『しょうがい者・親・介助者 自立の周辺』




皆様、いかがお過ごしだったでしょうか?
「当事者の日常」担当のKでございます。



1人暮らしを始めて今月で約7ヶ月の私は、まだまだ初心者。
なので、今回の読書も“自立生活”に関する本になりました。
ただ、1人の障害者の生活や人間関係にスポットを当てていた前回の本とは違い、
この本は複数の障害者や親、介助者に著者が取材したものが中心になっています。


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ちなみに、この本にはCILなどの事業所で、職員をしている障害者が多く出てきます。



前半は、自立生活をしている障害者と親や家族の話が中心。
障害者本人に対する取材や、ある親子へのインタビューなどを通して、自立に至るまでの
過程やその時の本人と家族との葛藤などが書かれています。

当然“ソレ”を受けての著者の意見も書いてある訳ですが…
いや~、読んでいる私も耳が痛くなってしまうことも沢山ありました。
ただ、それは“親の側”だけに立って書かれたものではなく、実に客観的に公平に
両方の問題点を指摘しているという印象でした。


中盤には、著者の(重度障害者だった)母方の祖母との経験、体験と
取材で感じた障害児・者の母親たちの状況などを元に、障害者や女性に対する
偏見や差別についての自身の考え方が述べられています。


後半は、本の表紙の帯に書いてある

――障害者の自立に不可欠な
 介助のあり方をめぐる問題に
             切り込む 

と、あるとおりこの本のメインとも言える介護問題。

ここでは「介助者派遣を行なっている団体または利用者が
介助者との“関係”や、介助者の“立場”をどの様に考えているのか?」を主な軸に
展開していきます。

その中では“介助者の雇用”とか“同性介助(異性介助)”の問題について
書かれているのですが、
私は「前半と違って、随分主観的にかかれているなぁ」と思いながら読んでいました。

介助者の雇用問題も同性介助(異性介助)の問題も、
原因は「男性(健常者)中心の社会」にある」と書いています。


最初にも書きましたが、障害者が中心になって運営する介助者派遣事業所として、頻繁にCILが出てきます。

CILの“障害者主体(※)”という考え方について、『男性(健常者)中心の社会で
差別・抑圧されたことで出てきたモノ』として、この考え方を主張しすぎると今度は、
健常者や介助者を抑圧することになるのではないかというのです。
(※:本の表記をそのまま使っています。)

加えて、利用者が直接ではないにしろ金銭を介助者に払っている状態を“雇用関係”と
捉えていることも、“上下関係”になってしまい、介助者が萎縮して利用者との
“対等な関係”が築けない(介助で生計を立てている場合は、なおさら)ともいっています。


そして最後は、同性介助(異性介助)について

ここで著者は“同性介助”を強く主張すると共に、「男性(健常者)中心の社会」が
介助は、家族(母親、妻、娘などの女性)がするものだという“思い込み”を
生んだと批判しています。

著者が“同性介助”を主張する理由を私の文章で表すと

「(異性介助だと)男性利用者(障害者)は女性介助者を性的な目で見るから」

という一言になります。

女性の障害者が男性の介助を受ける形の異性介助もあるはずですが
この本に出てくる異性介助の“悪い例”は、ほとんど…

障害者(加害者)=男性  介助者(被害者)=女性

という形の異性介助なのです。


確かに、異性を“性的な”目で見てしまうのは、女性よりも(自分も含めて)男性の方が
多いだろうイメージは私にもあります。
しかし、女性が男性を性的な目で見ないとは思っていません。
なので、この様な書き方は私には一方的に男性を攻めている感じがしました。

前半部分がとても客観的だっただけに、少し残念でした。


この本が発行されたのが、11年前の2002年。
著者の異性介助へのイメージも変わっているかもしれません。


私は今“同性”介助を入れようと考えています。





では、また次回  K