(旧)自立生活センター・昭島の日常

東京都昭島市でひっそりと(笑)活動している福祉団体。地域で暮らす障害者の生活サポートや情報提供、移送サービスなどをやっています。

大災害の中、障害を持つ人々に何が起きたのか? 上映会編

皆様、いかがお過ごしだったでしょうか?
「当事者の日常」担当のKでございます。


6月24日(土)、保健福祉センター(あいぽっく)で行なわれた、
CIL・昭島の企画…

『大災害の中、障害を持つ人々に何が起きたのか?』

上映会及び講演会に参加しました。


これが資料の表紙です。
イメージ 1

所々落書きがありますが、私が書いたメモです。


当ブログの告知にもありましたが、今回は、
実際に被災された障害当事者、阿部俊介さんと小野和佳さんの
講演会の2部構成です。


第1部の映画は、障害当事者と障害者に関わる人達(事業所や介助者、家族等)の
地震発生時や震災後の様子や、
障害当事者の避難所での出来事、障害者用仮説住宅の問題等、
私には想像出来なかった事の連続でした。

……書きたい事は沢山あるのですが、多分うまく書けないと思います。


映画の冒頭、ある男性障害当事者が(名前が出ていましたが、思い出せません)(※)
避難する為に介助をしていた家族に対して、迫ってくる大津波を目の前に
「もう、あきらめよう」と言ったという話が出てきました。

“その話”を聞いた瞬間「自分だったら、どうだろうか?」という思いが
頭の中を駆け巡りました。


この他にも、在宅で家族と生活をしていた女性が震災で家族と別れ、
知らない土地で、1人暮らしを余儀なくされてしまい、
戸惑っている姿が映画に出てきました。
自立生活を始めたばかりの自分は、複雑というか
何とも言えない気持ちで観ていました。

自分自身から望んで(自分の意志で)自立生活を選択した私にとって
1人暮らしは“良いモノ”という印象があります。この気持ちは今でも変わりません。
しかし、自分の意思とは関係なく、震災で環境が変化した事で突然、自立生活を
“しなければならない”彼女にとって1人暮らしは“良いモノ”と言えるのだろうか?と
考えずにはいられなかったのです。

先の文章で、障害当事者の避難所での出来事と書きましたが、
その内容は「自宅から家族と離れ、1人で避難所に避難した障害者の女性が、
『障害者1人だと対応出来ない』と言われ、自宅に帰された」というものでした。


しかも、その後、配給の物資が届かず何度行政に訴えても聞いてもらえなかったと大変怒っていました。
私も映画を見ながら、強い憤りを感じました。



障害者用の仮設住宅には、私自身も忘れていた事がありました。
それは入口について…

最初画面に映った仮設住宅の入口には“障害者用”とは名ばかりの高い段差が
付いていました。それを見た時、私は単純に「スロープをつければいいのに…」と思ったのですが、
その後ついたスロープは角度が急で、意外と使いづらかったり、車イスでの方向転換がしずらかったりと、
スロープもただ“付ければ良い”というモノではない。ことを改めて思い知りました。



そして、原発事故に関して…
色々な話が出てきましたが、私が1番印象に残っているのは“避難”か?または“屋内退避”か?ということでした。
特にいわき自立生活センター理事長の言葉が耳に残っています。

理事長は前半部分では「車イスの利用者や職員の為のポンチョ風の防護服や防塵マスク、ゴーグルを用意して、
いつでも避難できる様にしています」と言っていました。

この話を聞いた私は素直に「やっぱり早く避難した方が良いんだ!」と思ったのですが・・・・

東日本大震災原発事故から1年後の2012年、理事長は「あの時(頃)とは考えが変わりました」と言うのです。
それから「今は、無理して避難するより、屋内退避の方が良いと考えています」と続きます。

理由は「時間を掛けて避難場所に行くと逆に放射能で被ばくする可能性が高いから」なのだそうです。

あの日から、原発事故の事を考えると、
私の頭の中では“避難が良い”と“屋内退避が良い”が互に出てくる状態です。





では、また講演会編で  K
※:筋ジストロフィーの佐藤さんです




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