(旧)自立生活センター・昭島の日常

東京都昭島市でひっそりと(笑)活動している福祉団体。地域で暮らす障害者の生活サポートや情報提供、移送サービスなどをやっています。

東日本大震災から一年…

皆様、いかがお過ごしだったでしょうか?
「当事者の日常」担当のKでございます。



先日の3/11(日)で「東日本大震災」の発生から一年が経ちました。

去年の4/19の当コーナーでも、約一週間前(4/11)に起きた大きな余震の話と
共に大震災当日の様子を書かきましたが、今回は、もう少し詳しく書きたいと思います。


私は当時、小平市にある東京障害者職業能力開発校(障害者の職業訓練をする所)に電車で通って、
就職に必要な資格の勉強をしていました。
在校期間は、勉強をする科目によって違いますが6ヶ月~2年間で、私の場合は1年間でした。
(※詳しくは開発校のHP等をご覧下さい。)

平成22(2010)年度に入校した私は、年明けからは就職に向けて「面接での心構え」や、
「企業の人材とは?」などをテーマとした講演を受講していました。


“その日”も午後の時間は講演の予定が組まれていました。
前半の部が終わり、休憩中の午後2時46分に地震が発生。
休憩中ということもあり、講演場所だった1階の教室には、人影はまばら、
揺れ始めた時は「すぐ収まるだろう」と思っていたのですが……。

意外と大きい揺れが長く続き、校内放送で「講演は中止にします。各科(クラス)の担任の指示に従い、
入り口の前に避難集合してください」と声が流れる。

元々1階にいたのと、休憩中だったこともあり、避難場所への移動は大きな混乱も無く、
落ち着いてスムーズに済んだのですが…


通常私たちが使っていた教室は、2階の一番奥にあるので、もし「そこ」で地震に遭っていたら……。
エレベーターが止まった状態を想定して、スロープを使った避難訓練をしていても、
これほど落ち着いて行動できただろうか?と、今でも考えてしまいます。
(本当に避難したのも初めてだったし…)


入り口の前に集合し、1~2時間待機していた間「電車が止まった」等の情報が徐々に明らかになる中、
それでも「すぐに動き出すだろう」と言う人もいて、まだ楽観的ではありました。


友達が「震源はどこだろう?」と言うので、
当時、東北地方で地震があったことを覚えていた私が「東北地方じゃないかなぁ…」と言うと、
友達は「東京でこんなに揺れたら東北はスゴイことになってるよ」
と言っていたのですが…

その直後、携帯電話を使って調べていた先生から
「M7.6、最大震度6強(発生直後の発表)だって!」という声が…

この時は「大変な事になった」ということ以外は頭に浮かびませんでした。


このまま外にいるのも寒いだろうという事でとりあえず、入り口の前から体育館へ移動…。
体育館にはラジオが置いてあり、そこから色々な情報は聞こえてくるが、
人が集まっているので、うまく聞き取ることが出来ない。

自分の携帯電話がワンセグテレビを受診できるのを思い出し、
急いで点けてみると、最初に飛び込んできたのは
「大津波」で家や車がなぎ倒され、ものすごい勢いで流されていく映像…。

9・11の時もそうでしたが、あまりにも想像を超えた出来事に
まったく現実感が持てなかったのを覚えています。



しばらくすると、「学校の寮に泊まるのか帰宅するのか、各科(クラス)の
担任と相談してください」と学校側の指示。
(学校には、地方から入校してくる人が多いので、寮がある)

私は電車止まってしまっていたので、寮に泊まることにする。

結局、私のいたクラスでは、元々入寮している人を除いて学校に泊まることになったのは私だけでした。

その後、学校の食堂に集り「おにぎり&堅いパンとみそ汁」を数回お代わりし夕食を済ませ、
寮での部屋割を聞いた後、各自しばらく自由時間…。


私の両親は、その日自宅に居ることが分かっていたので、とりあえず「学校に泊まる」と伝えようと何度も連絡を取るが
繋がらず…メールや緊急時伝言メッセージも考えましたが、両親とも使えないと思い速攻で断念。

保育士の妹にメールで確認した所、電話が出来るというので、連絡してもらう。
(保育園や幼稚園等は緊急時優先的に繋がる様になっているらしい)
※詳しくはご自身でご確認下さい。



連絡が着いたので、ホッとしたのか疲れてきたので割振られた寮の部屋へ…。
その部屋は私と同じクラスの人が使っている部屋でした。

その人は車を持っていて「電車通学の人を何人か送り届ける」とのこと。
私も声をかけられたのですが、普通の車には電動車イス(簡易電動ではない)は載せられないので、丁重に断りました。

部屋にあるテレビの見られるパソコンを自由に使っても良いと言われたのでお言葉に甘えて使わせてもらう。

津波の映像や油田火災の様子等が次々と目に飛び込んで来る。
しばらく釘付けになって見ていたのですが、突然睡魔に襲われ、そのままベッドの中へ…。

夜中に物音がして一度目を覚ますと、同室の人が帰ってきた所…
さすがに興奮しているのかその後もなかなか寝付けませんでした。


次の日動き出した電車に乗って無事自宅に帰宅しました。



こういうと不謹慎かもしれませんが、地震に遭った時学校にいて私は運が良かったと思います。
これが、もし外出中だったり、誰も知り合いの以内状況だったらどうなっていたか…。


震災から1年…
改めて色々考えさせられました。





では、また次回 K