(旧)自立生活センター・昭島の日常

東京都昭島市でひっそりと(笑)活動している福祉団体。地域で暮らす障害者の生活サポートや情報提供、移送サービスなどをやっています。

重度訪問介護の学習会 報告(通信71・72号より)

今年の1月~3月にかけ、重度訪問介護制度を実際に活用している方々を講師に迎え、重度の知的障害者がどのようにしてこの制度を使い、地域生活を送っているのか、全3回の学習会を開催しました。

知的障害者が地域生活をするためのツールとして、重度訪問介護制度の活用を考えていただけたらと思います。

 

 

 

第1回 重度知的障害者の自立生活 ~親御さんの立場から~

第1回目は、この制度を使って自立生活を送る、重度の知的障害・自閉症の息子さんを応援している岡部耕典さんを講師にお迎えし、親御さんの立場からお話をしていただきました。

岡部さんの息子さんがどのようなプロセスを経て地域移行していったのか、障害者福祉制度の変遷をからめた話から始まり、重度と言われる知的障害者に対して国の施策はどのようなもので、何が問題だったのか。国際的な動きも含めて時系列に沿って話をしていただいたので、非常にわかり易く多くの気付きをいただけました。戦後の高度経済成長期、重度の知的障害者が日本経済の「手かせ足かせ」…厄介者として地域社会から隔離され、施設へ入所させられていた時代から見れば、今は制度も整ってきているのかも知れない。けれども、本質的な部分では何も変わってない事が、知的障害者の地域移行が進まない根幹にある気がしました。

また、息子さんが地域で普段どのような生活しているかを収めたビデオと、息子さん同様に地域社会で自立生活を送る、2名の当事者のビデオが上映されました。言葉だけではなかなかイメージが涌きませんが、映像と重ね合わせる事によって、とても明確に伝わってくるものがありました。通所施設内では生気の無い表情だったのに、介護者と一緒に地域社会にいる時は、生き生きした表情をしている当事者の様子が特に印象的でした。

第2回 重度知的障害者の地域生活支援 ~支援者の立場から~

第2回では、親元や施設、グループホームでの生活から、介護者を付け地域での1人暮らしへ移行するプロセスや、実際の暮らしはどのように成り立っているのかを、自立生活企画の介護コーディネーターである末永弘さんを講師にお迎えして、介護者や支援者の立場からお話していただきました。

末永さんは、岡部さんの息子さんのコーディネーターでもあり、重度の障害者は施設へ入所するのが当たり前、ましてや地域社会で介護者を付けて自立生活を送るなど考えられなかった頃から、介護者・支援者として当事者と関わっておられます。支援者側から見た現場でのご苦労など、別の視点での捉え方などが新鮮に響きました。現状の制度を使って、重度知的障害者の地域生活をどのように成立させ、それをどのように維持し実践してきたのかを聞く事ができて、非常に有意義な時間を過ごす事ができました。



第3回 1人暮らしの支援を、当事者の視点で考える

第3回目の講師は「NPO法人ピープルファースト東久留米」の代表である小田島 榮一さん。当事者の立場から、お話しをしていただきました。

ご自身は「重度訪問介護制度」の対象にはなっておらず、居宅サービスなどを使い、地域社会で暮らしています。コミュニケーションが取れる介護者がそばにいる事で、感情や考えの整理ができ、生活の様々な場面での判断に支援を必要としていますが、実際はそこまでの派遣時間数は認めてもらえていません。こうした見守り介護は、障害の重軽度に関わらず必要ですし、時間数を確保する意味でも「重度訪問介護制度」を利用したいと強く訴えていました。しかし現状では、重度の知的障害者精神障害者で、かつ激しい行動障害を有する者に限定されています。制度が使えないので、大いに不満があるとおっしゃっています。

小田島さんは、施設入所時代や預けられた農家での虐待やいじめを思い出すと、今でも辛いとおっしゃります。障害当事者のみならず、世間を震撼させた「津久井やまゆり園事件」は、障害者の生活のあり方が改めて問われた事件でした。障害がある人が、施設ではなく地域社会で生きていくにはどうしたらいいか、そのためにはどういった支援が必要なのかを考えさせられたのではないでしょうか。



全3回の学習会を終えて

現状では、親が年老いたり亡くなった後は、施設での暮らしを余儀なくされている方々が、知的障害者に限らず多く存在します。この事も含め今回の学習会を通して感じたのは、「重度訪問介護制度」をもっと柔軟に運用し、どんな障害があっても住み慣れた地域社会で暮らせるようにすべきではないかという事です。

もちろん制度だけではなく、そのために必要な財源の確保や人材も必要です。制度は整ってきても、必要な人がそれを活用できないのでは、それは絵に描いた餅に過ぎません。これは障害者だけの問題ではないと思います。今こそ社会全体で変えていく必要があるのではないでしょうか。